

賢治の碑 |
|
年間30万人が訪れる猊鼻渓(げいびけい)で近年とみに有名になった東山町は、昨年7月の台風6号で有史以来の大水害に見舞われた。古老は勿論、町の歴史にも記録されていない大災害だった。しかし、町民の努力の結果、表面上は復旧されて以前の姿に戻っている。盆地に囲まれた山の上には、唐梅館の城跡があり250mの城跡からは木々の間に町内が見下ろせる。要害の地を思わせる城跡にはキャンプ場があり、その下には唐梅館総合公園が整備されて体育館、グランドなどが町民の憩いと安らぎの場となっている。2kmの舟下りの猊鼻渓は往復1時間半、昔の静けさを味わえなくなったのが寂しい。松川は今も蔵が建ち並ぶ歴史の古い町である。そのはずれに、二十五菩薩堂があり、平安後期の木彫りの25体の菩薩像がある。全て頭が欠落、傷みが激しいが何故この地にあるかは謎に包まれたままである。長沢初三氏の家で代々管理されている。小学校跡の公民館で手続き、是非見学したいものである。幽玄洞は、化石の見られるのが特長。一見に値する。その向いの岩の祠には子安観音[マリア観音]が祀られ、昔、隠れキリシタンの祭礼の場とも言われる急峻な岩場が謎めいている。東山町田河津には、菅原道真公の夫人[吉祥女]の墓がある。にわかには信じ難いが、史実によれば夫人は胆沢郡に流され、延喜6年9月、42歳で逝去、五輪塔2基と石碑1基が小さな覆堂に安置されている。平成6年には、道真公の子孫にあたる九州大宰府天満宮から紅白梅が贈られ、子孫により墓前に植樹がなされた。今新たに見直され、保存管理が計画されている。宮沢賢治が勤務した石灰工場跡には「石と賢治のミュージアム」などもあるが、役場裏の若き有志が建てた賢治の石碑が往時を偲ぶ記念である。石灰の山から湧き出る水は豊富で名水である。その昔、平泉まで若水として送られていたと言う。平泉文化を支えた東山和紙の製造は、今も4軒の農家で引き継がれている。
|